「暦」(なぜ昔の年を西暦にするとズレがあるのかを考える)
日本では、明治6年(1873)1月1日から太陽暦の「グレゴリオ暦」を採用しています。
その前は「太陽太陰暦」が使われていました。

太陽太陰暦(たいようたいいんれき)」とは、
月の満ち欠けの周期(朔望月:29日12時間44分2.878秒)を元にして "(だい)の月"(30日間)と"(しょう)の月"(29日間)を設けた「太陰暦」を基本としており、 太陽年(365日5時間48分45.221秒)との差を3年毎に閏月うるうづき(33日間,年13ヶ月)を設けて、 (太陽暦に合わせたともとれます)季節感のズレがでないようにしていました。

ちなみに明治6年(1873)1月1日の前日は明治5年12月2日(1872年12月31日)でした。
また「太陰暦」では、1年が354日なので、年におよそ11日間のズレが発生していました。

「グレゴリオ暦」とは、
太陽暦は私の知る限りで、「ユリウス暦」(365.25日/年),「グレゴリオ暦」(365.2425日/年)があります。
太陽年は365日5時間48分45.221秒(365.24219日/年)なのでこの差の小さな暦が望ましい事になります。
グレゴリオ暦は太陽年との差が、400年でおよそ0.12日(2時間53分)になります。

グレゴリオ暦では調整のための閏年計算は次のようになっています。
閏年(うるうどし)は、4で割れる年ですが、100で割り切れる年は平年(へいねん)とします。但し400で割り切れる年は閏年とします(平年は2月を28日まで、閏年は2月を29日までとします)。

昔の年月日を今の暦で考える時には、
使用の暦が違うので年は1年程度のズレがあるもの、月日は2月程度のズレがあるもの、とした方がすっきりしますね。
それが嫌なら、昔の年号で考えればそれが正しい。  納得です。


季節などに関する事:
月の呼びには、
睦月(むつき)(旧暦1月)、 如月(きさらぎ)(旧暦2月)、 弥生(やよい)(旧暦3月)、 卯月(うづき)(旧暦4月)、 皐月(さつき)(旧暦5月)、 水無月(みなづき)(旧暦6月)、 文月(ふみづき)(旧暦7月)、 葉月(はづき)(旧暦8月)、 長月(ながつき)(旧暦9月)、 神無月(かんなづき)(旧暦10月,出雲地方は神在月(かみありづき))、 霜月(しもつき)(旧暦11月)、 師走(しわす)(旧暦12月)、 閏月(うるうづき)(旧暦13月)  が使われていました。


新月(しんげつ)」,「(さく)」とも呼びます(旧暦1日ごろ、月の出6:00ごろ)、日食は新月の時起こります。
「二日月」(旧暦2日ごろ)、月の出7:30ごろ、
三日月(みかづき)」(旧暦3日ごろ、月の出8:30ごろ)、
「七日月」(旧暦7日ごろ、月の出11:30ごろ)、
上弦(じょうげん)の月」(旧暦8日ごろ、月の出12:30ごろ、月没の時「弦」が上にあるから上弦と呼びます、月齢7.38
        元々は半月を「弦」と呼び、月の上旬だから上弦と呼んでいたというのが確からしいです。)、
「九日月」(旧暦9日ごろ、月の出13:30ごろ)、
「十日余りの月」(旧暦11日ごろ、月の出14:30ごろ)、
十三夜月(じゅうさんやづき)」,「小望月(こもちづき)」とも呼びます(旧暦13日ごろ、月の出16:30ごろ)、 特に旧暦9月13日の夜は「(のち)の月」とも呼ばれます。日本では月見の行事を行う(919年 延喜19 醍醐天皇の月の宴に始まるといわれています)。
望月(もちづき)」,「満月」とも呼びます(旧暦15日ごろ、月の出18:00ごろ、月齢14.77)、
草津町には望月家という旧家があります。魚市場で繁栄したらしいです。何故か月の輝きを思い浮かべてしまった...。
また、2号線の草津橋の近くに「満月」という寿司店がかつてあり、たしかオーナーは吉村さんでした。

月食が起きるのはこの日です。初めて月食観測に行ったのは高校生だった寒い日で、 康くんと西部開発の草津新港の近くで真夜中から朝まで頑張った思い出があります。 何処かに撮影した写真があるはずなので、見つけたらページをつくりたいです。
十六夜月(いざよいづき)」(旧暦16日ごろ、月の出18:30ごろ)、満月より少し遅く出てくる事に、古人たちはいろいろ感じたみたいです。(源氏物語 末摘花、十六夜日記、歌舞伎では十六夜清新というのもあります。)
立待月(たちまちづき)」(旧暦17日ごろ、月の出19:00ごろ)、
居待月(いまちづき)」(旧暦18日ごろ、月の出20:00ごろ)、
寝待月(ねまちづき)」,「臥待月(ふしまちづき)」とも呼びます(旧暦19日ごろ、月の出21:00ごろ)、
宵闇月(よいやみづき)」,「更待月(ふけまちづき)」とも呼びます(旧暦20日ごろ、月の出21:00ごろ)、
下弦(かげん)の月」(旧暦22日ごろ、月の出22:30ごろ、月没の時「弦」が下にあるから下弦と呼びます、月齢22.15
        元々は半月を「弦」と呼び、月の下旬だから下弦と呼んでいたというのが確からしいです。)、
「二十三夜月」(旧暦23日ごろ、月の出23:00ごろ)、

いやいや、月の呼び方もいろいろありますね。the moon に少しのバリエーションの英語に比べたら日本語の豊かさを改めて認識です。 しかし、この豊かさが英語を理解する時に日本語で考えると迷ってしまいますね。
おっと危ない。ページが発散してしまうので外国語の話は止め。

太陽の黄経を24等分した「二十四節季」には、以下の節があります。
立春(りっしゅん)(2月4日頃 黄経315度、春のはじめの季節)、
注: 図の卯刻から酉刻の間の薄い黄色が昼間を示しています。

雨水(うすい)(2月19日頃 黄経330度)、

啓蟄(けいちつ)(3月6日頃 黄経345度、冬ごもりの虫が這い出るころ)、

春分(しゅんぶん)(3月21日頃 黄経0度(春分点)、昼夜の長さがほぼ等しい、春の彼岸の中日)、

清明(せいめい)(4月5日頃 黄経15度)、

穀雨(こくう)(4月20日頃 黄経30度、春の最後の季節)、

立夏(りっか)(5月6日頃 黄経45度、夏のはじめの季節)、

小満(しょうまん)(5月21日頃 黄経60度)、

芒種(ぼうしゅ)(6月6日頃 黄経75度、(のぎ)のある穀物(稲など)の種をまくころ)、

夏至(げし)(6月22日頃 黄経90度)、

小暑(しょうしょ)(7月8日頃 黄経105度)、

大暑(たいしょ)(7月23日頃 黄経120度、夏の最後の季節)、

立秋(りっしゅう)(8月8日頃 黄経135度、秋のはじめの季節、暑さの盛り)、

処暑(しょしょ)(8月24日頃 黄経150度)、

白露(はくろ)(9月8日頃 黄経165度、秋らしさが始まる)、

秋分(しゅうぶん)(9月23日頃 黄経180度、昼夜の長さがほぼ等しい、秋の彼岸の中日)、

寒露(かんろ)(10月9日頃 黄経195度)、

霜降(そうこう)(10月24日頃 黄経210度、秋の最後の季節)、

立冬(りっとう)(11月8日頃 黄経225度、冬のはじめの季節)、

小雪(しょうせつ)(11月23日頃 黄経240度)、

大雪(たいせつ)(12月8日頃 黄経255度)、

冬至(とうじ)(12月22日頃 黄経270度、昼の長さが最も短い)、

小寒(しょうかん)(1月6日頃 黄経285度)、

大寒(だいかん)(1月20日頃 黄経300度、冬の最後の季節)

あと役立ちそうなのは、十干(じっかん)(こう(きのえ))(おつ(きのと))(へい(ひのえ))(てい(ひのと))(ぼ(つちのえ))(き(つちのと))(こう(かのえ))(しん(かのと))(じん(みずのえ))(き(みずのと))十二支(じゅうにし)()(うし)(とら)()(たつ)()(うま)(ひつじ)(さる)(とり)(いぬ)() を組合せた「六十干支(かんし(えと))」が あります。気になった方、今は自分で調べてくださいね。
ちなみに庚午町の庚午(こうご(かのえうま))は、埋立て着工の年「()」の 「()」で「庚」、十二支の「(うま)」の西暦1870年(明治3)から来ています。 これは六十干支の一つで、甲子(きのえね(かっし、こうし))から数えて7番目です。

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