神社内にある御由緒の碑に、
「當社は天徳年間(西暦九五七〜九六〇年)に 勧請されたと伝えられており、 以来一千年余の歴史を有する御社である。 往古、この一帯は海辺であり、 西方から延びる半島(城山)と、 背面の力箭山(通称行者山)に抱かれた 湾内の東端に在り、漁船の船着場 として栄え、海人(うみんと)達ちは 日頃尊敬する市杵島姫命をお祈りする、 鷺森神社を建て御祭神が女神なるがゆえに、 弁天社と呼称し 豊漁と海上の守護を祈願した。 近世、干拓が進むに伴い内陸の神社となり 漁業との関わりはなくなったが、 現在は町内鎮守社の一つとして、 草津東町を中心に広く篤く崇敬が 寄せられている・・・」 と記されている。 |
「往古、この一帯は海辺あり、西方から延びる半島(城山)」、「背面の力箭山(通称行者山)に抱かれた湾内の東端」
などより、この辺りは1000年以上前から漁港であった事が推察される。
西暦625年頃に海路の守護神として草津八幡宮の勧請(かんじょう)があったらしいので、漁業だけでなく軍港のようだった かもしれない。(草津の旧名を「軍津浦(いくさつうら)」という伝承もある。) 城山(小さい頃「じょうやま」と呼んでいた)は半島で、草津城,関所があったが、鉄道による3分割、宅地化により、 現在の姿となっている。 2009.August.04 |